加算減衰

思いついたら書きます

10代の終わりというモラトリアムの区切りに際して

この記事、書きかけの状態で2回データ失ってて泣いてる。みんなはちゃんと保存してから他の作業をしようね……

 

さて、突然ですが私はそろそろ20代になります。今回この記事を書いているのは、「退職エントリとか言うくらいだし、成人エントリでも書くか」という思いつきによるものです。一般的には退職より成人の方がエントロピー大きいですしね。

記事タイトルにもあるように、ここでの大きなテーマは「モラトリアム」です。本来であれば実際に読んだ本から学んだことも交えて「モラトリアム」について何か気付いたことが書ければいいかなと思っていたのですが、どうも読み始めた本が読み終わりそうにないので、その話は後々の為にとっておきたいと思います。ここでは、「20代になる前の自分の書き残し」として、この一区切りに際して、ここ最近の動向や今の個人的な思いを書き残しておきたいと思います。

 

恐怖をもって迎える誕生日

一般的に、割と若いうちは年齢が上がることがめでたいこととして祝われる側面が強い印象があります。勿論大人になっても、1年と言う月日を無事に過ごすができた、という意味で誕生日を祝うこととは思いますが、若い人のそれに比べて遥かにもの寂しい印象があります。

自分の場合はというと、幼い頃から捻くれ者だったので、誕生日を祝われれば陰気な顔をするようなやつでした。ただ、10代に入ってからは単に捻くれ者というよりかは違った意味で、誕生日というものを恐れていた気がします。そして20歳になるというのはその境目であるような気がするのです。

変化に対する恐怖

今思うと、私は昔から身の周りが変化することに敏感でした。学校に通っていた頃には、たとえ現状がどんなに都合の悪い席配置だったとしても、席替えの時には環境の変化が不安で苦しんでいました。学年が変わったり先生が変わることにも非常に敏感だったと思います。それを表面に出すことはあまりしませんでしたが。

恐らく年齢のようなものに対してもこれと同じ感情を抱いていたと思います。年齢が一つ上がっても、大抵の場合はなんともない、ただ紙に書く数字が1増えるだけです。ですが、年齢が上がるということに「これまでの自分から変化する(ことが求められている)」という恐怖感を感じ続けていたと思います。

16歳が17歳になることに負担を感じていた人間が、17歳から18歳になった時のことと言ったら……結局18歳になっても、選挙権が得られたとか各種契約が多少しやすくなった程度のもので、日常生活に特に変化はなかったのですが、それでもあの頃の自分は非常に緊張していたと思います。まぁ当時はちょうど国立大学後期試験の直前だったので、それどころでもなかったですが……

20歳への恐怖

恐らく人間が年齢を重ねていくうちで、もっとも変化が大きいのは19歳から20歳になるときではないかと思います。その原因は日本国における法律や各企業との契約によるものが大きいですが、いずれにせよ、大きな転換を求められるのは確かです。

自分にはそれほど20歳になるということが魅力的なものに思えません。お酒は酔っ払った自分を想像すると少々怖いですし、タバコも高いお金を払ってやろうという気にはなりません。特にいいことは思いつきませんが、その場合でも権利は義務と共に現れます。例えば「国民年金加入のご案内」とかですね。まぁとにかく、今の自分にとって、20歳になることで得られるものが、マイナスのものばかり意識されてしまうのです。

20歳を目前にして

ついこの間までは、「私の10代はあと1ヶ月しかないのか……」と絶望してみたり、既に20を迎えた同期に対して「まぁ俺は若いからな」などと謎のマウントを取ってみたりしていましたが、もう今となってはただ「あぁ、時間が過ぎるのは思っていたより速かったなぁ」と言う感想しか残っていません。20歳と言うものがもっと遠くにあるような感覚があったのですが、気がつけば目前になっていました。

今後の人生も、いずれもっと大きな転換点に差し掛かった時であろうと、気が付いたら過ぎ去っているような感じで流れていくのだろうかと思うと、少しもの寂しい気分になります。初めての体験が減ってきて、なんだか徐々に人生が平坦なものになっていくような感覚でしょうか。まぁ別に20歳になることはそんなに大きな変化ではありませんし、どちらかと言うと大学卒業の方が激しい変化を伴うものと思われるので、今過ぎ去ろうとしていることよりも未来のことを考えていた方がいいかもしれません。

 

アイデンティティの話

少し話題を変えます。ここからは所謂アイデンティティの話についてです。

最近、急に自分の周りの人がTwitterで「自分がわからない」という趣旨の発言をしているのを多く目にするようになった気がします。勿論これまで私がそう言った手の発言に興味がなかったから気付かなかったとか、私がそう言った発言を幾度となく繰り返しているために周りの人がそれに巻き込まれてしまった結果である可能性は否定できませんが、ただ、この問題が今の私たちにとって深刻なものであることに間違いがなさそうであることは、自分や他の人たちの必死さから伝わってきます。

アイデンティティの危機

私は「自分らしさ」というものについてここ数ヶ月考え続けていました。一体何が「自分らしさ」なのか、一体何を獲得したら「自分らしく」なれるのか、といったような問いです。

自分がこの問題を抱えていることを認識し、明らかに自覚して向き合うようになったのは昨年12月末頃のことだったと記憶していますが、その前段階として10月から11月の間に、この問題に向き合うための材料集めが既にされていた印象があります。実はその頃の私の記事は今とちょっと語調が違います。これは伝えたいことによるものでもありましたが、実際のところは自分の中で違ったモノの捉え方・語り方への試行錯誤があったんだろうなと、今では振り返ります。

私個人の問題とがっこうぐらし!

私ががっこうぐらし!という作品に入れ込んでいることは広く知られた事実になってしまいました。折角なのでお付き合いいただくと、この辺の問題提起も作品中にあります*1。私ががっこうぐらし!オタクを拗らせたのはだいぶ前からの話になりますが、2017年末に様々転機になり得る出来事があったこと、2018年に入って自分に余裕が増えたこと*2がっこうぐらし!フォワードでの連載が再開され単行本10巻が発売されたことなどが重なり、これらの問題と真面目に向かい合う機会をがっこうぐらし!と共にできたのはちょっと面白いなと思っています。

がっこうぐらし!を未読の方は是非この機会に読んでいただきたいのですが、あの作品は思春期の少女たちの成長をしっかり描いてくれています。彼女たちはサバイバルという極限状態の枠組みの中で、私たちの日常にあるものとも共通するような問題を投げかけてくれます。そして、学園生活部の面々は自分なりの答えを出して、言葉にして私たちに教えてくれるのです。がっこうぐらし!のこういった側面は、きっと特別悩みのない方々にも、共感や気付きをもたらしてくれるのではないかと思っています。

今になってみると、ずっと前から私は、何かに躓いた時にがっこうぐらし!を本棚から引っ張り出してきては、彼女たちの示してくれたものに力をもらっていたように感じています。

つらかった話

そんなわけで、自分を見つめ直す機会を得た私は、年末年始の頃には非公開ブログで永遠と自分のことを考えて気付いたことを書いたりしていました。最後に更新したのは1月末ですが、毎週数千字の文章を、それも自分の内面について書くことなどなかったので、本当に数多くの気付きがありました。

私も皆さんも色々な問題があるかとは思いますが、最終的に私が常に行き着いた先は「自信」にまつわる問題でした。

何をやっても自信が得られない、みたいな問題を抱える人は少なくないと思います。恐らく今の私もそういった類の問題を抱え続けていますが、この苦しさとうまくやっていく心持ちみたいなのも何となく身についてきました。ただの慣れのようなものですし、まだ波のようにこの苦しみがやってくるので根本的な解決にはなっていませんが、うまく付き合っていくことができればそれでいいような気がしています。重要なのは、苦しみを力に変えてやっていく事、であることに間違いはなさそうなので。

今考えると、この苦しみが一番私から安定した生活を奪っていたように思います。今考えると3日寝ず食わずでも本を読むことしかできなかった頃の自分は異常でした*3。今ではだいぶ落ち着いて、少なくとも3日に一回は大体長い時間寝られています*4。睡眠規則は一向に整いませんが、まぁこれも大学が始まる頃には治るでしょう*5。いずれにせよ、実感としては、完璧とは言わないまでも、私がアイデンティティに対して抱えていた問題はだいぶ安定してきたのではないかと思います。こうして思春期が終わっていくんですね……*6

 

20代になっても魔法が使えるか

これは別に何かの比喩とかではなく、本当に私が今後とも「魔法少女」であり続けられるかと言う話です。

私が初めて魔法少女について言及したのは、確か2017年末のことでした。最初は「魔法少女になりたい」という趣旨の発言を繰り返していましたが、徐々に私自身が魔法少女になっていったのを覚えています。主に2018年末のことでした

これは個人的な感覚で、他の方から同意が得られるかはわからないのですが、大抵10代と言う時期は誰しもが魔法が使えたりするような気がします。いや、そんなことはないか……

最初の話に被る部分もありますが、自分にとって20代になることによって何かが失われる恐怖感みたいなものが、特にこの「魔法」に強く現れていました。10代に出来ていた何かを失ってしまう恐怖感と、このまま10代と同じことを続けていていいのかという困惑が、「20代になると魔法を失う」というルールを勝手に私の中に形成していたような気がしています。

最終的に私が得た結論としては、「別に急に魔法を失うわけでもないでしょ」ということです。魔法がなくても生きていけるようになるまで少しずつ魔法に頼って、そしていずれ魔法を完全に失う時には、魔法がなくとも生きていけるようになっている、と言うのが理想です。でも、仮にそのときを迎えても、魔法少女を名乗っていてもいい気がします。私もあなたも、望むならば永遠に魔法少女なので……*7

 

何を言いたいんだこいつ

ここまでお読みいただきありがとうございました。まぁ統一したテーマもなく、大変読みにくかったかと思われますが、ここにある悩みや苦しみが少しでも皆さんと共有できていればとても嬉しく思います。雑に書いている為、至らない点も多々あるかと思います。本記事へのご指摘やご意見もご遠慮なくお願いします。

私にしろ同年代の皆さんにしろ、「モラトリアム」はこれからも続くでしょうし、まだ様々な悩みを抱えることと思います。そういうときはお互い様なので、食事にでも行って語り合いましょう。今度皆さんの前に現れる私はなんとお酒が飲めます*8

*1:わかりやすいところでは10巻の最後の方とか

*2:皮肉にも、胃腸炎で入院したことで一時的に余裕が増え、そのしわ寄せが後に私を苦しめることになりましたが

*3:とは言いますが、実際のところ恐らく脳が停止している時間はあったはずです。脳が停止していて自覚できないので。ただ、スマホの睡眠記録にはぽっかり穴が開いていましたが……

*4:スマホの記録を見たらつい先日4日寝てない日がありましたが、きっと気のせいでしょう

*5:大学があるときに睡眠規則が崩壊して徹夜・仮眠が常態化していた頃のことを思い出しましたが……

*6:本当か?

*7:ここでの重要なテーマは、果たして私たちが一体どうありたいかということだと思っています。私たちが魔法少女としてすべきことは何か、魔法少女という概念を私たちが如何に都合よく使っていくか、という問題である気がしています

*8:年齢的に、と言うお話です。実際に飲むかどうかは別問題です